2012年10月03日
福沢桃助記念館・山の歴史館
明治時代に福沢桃助氏が木曽川に水力発電所を建設するため
この地に別荘や社宅を建て発電所に足を運んだ
使われなくなった別荘を福沢桃助記念館として公開

水力発電所建設中の現場の写真、トロッコが走っていた桃助橋の図面・模型など
福沢桃助氏とパートナーで日本初の女優の川上禎奴について展示
隣接(渡り廊下でつながっていて行き来できる)する山の博物館は
旧妻籠宿本陣跡地に御料局名古屋市庁妻籠出張所の庁舎として建てられたもので
改築や痛みが少なく貴重な建築物として認められ、平成に入ってこちらに移築

木曽山林は江戸時代に大量伐採が進み幕府の管林として厳しく管理された
地元民の収益源でもあったため生活が苦しく密猟伐採もみられ
捕まると処刑されたことから『木一本首一つ』と云われた
明治時代に入ると地元民の山林(明山)までも管林として取り上げられ
官林の払い下げを地元民が願った御料林事件について展示されてます
この当時から水力発電所(ダム)建設にあたって地元民の反発・いざこざがあり
結局、桃助氏はお金で解決したとのことです、、、

桃助氏が書いた『自力更生』
てぬぐい(300円)として販売してたので購入
電気産業の復活に期待したい
この地に別荘や社宅を建て発電所に足を運んだ
使われなくなった別荘を福沢桃助記念館として公開

水力発電所建設中の現場の写真、トロッコが走っていた桃助橋の図面・模型など
福沢桃助氏とパートナーで日本初の女優の川上禎奴について展示
隣接(渡り廊下でつながっていて行き来できる)する山の博物館は
旧妻籠宿本陣跡地に御料局名古屋市庁妻籠出張所の庁舎として建てられたもので
改築や痛みが少なく貴重な建築物として認められ、平成に入ってこちらに移築

木曽山林は江戸時代に大量伐採が進み幕府の管林として厳しく管理された
地元民の収益源でもあったため生活が苦しく密猟伐採もみられ
捕まると処刑されたことから『木一本首一つ』と云われた
明治時代に入ると地元民の山林(明山)までも管林として取り上げられ
官林の払い下げを地元民が願った御料林事件について展示されてます
この当時から水力発電所(ダム)建設にあたって地元民の反発・いざこざがあり
結局、桃助氏はお金で解決したとのことです、、、

桃助氏が書いた『自力更生』
てぬぐい(300円)として販売してたので購入
電気産業の復活に期待したい
Posted by チト爺 at 06:17│Comments(0)
│文化・芸術・資料館
コメントは承認するまで公開されません